イメージ:バイクで走る姿

米国最古の二輪メーカー インディアンモーターサイクルについて

 

インディアンモーターサイクル歴史

1897年、ジョージ・M・ヘンディーは、自転車製造会社を設立。オスカー・ヘドストロームと共に、1901年スプリングフィールドに最初の工場を設立しました。1923年に社名をThe Indian Motorcycle Companyに変更しました。1923年の日本と言えば大正12年、同年9月1日に関東大震災が発生した年です。HONDAの名が付けられた二輪車が誕生したのは1947年。カワサキは1953年、ヤマハ発動機は1955年。 インディアンモーターサイクルと同じ米国製バイク ハーレーダビッドソンの誕生は、インディアンモーターサイクルより2年遅い1903年に誕生しています。

1930年代 世界大恐慌になり、アメリカ経済は悪くなり、その後の世界大戦の到来にも関わらず、革新とレーストラックで他を寄せ付けない成功が続き、業績は回復して行きました。

 

 

インディアンモーターサイクルとレース

インディアンモーターサイクルは、常にレースに参戦して記録を伸ばしてきました。1914年 アーウィン・キャノンボール・ベイカーが長距離レースでサンディエゴから東海岸まで走るアメリカ横断レースで新記録を達成して、その翌年には記録を更新。1981年公開された映画「キャノンボール」は、彼の名前から付けられたレースです。1937年 エド・クレッツがインディアン・スポーツ・スカウトで初開催のデイトナ200レースに優勝しました。映画「世界最速のインディアン」でモデルになったバート・マンローは、1940年代にニュージランドで多くの陸上速度を記録を更新して、1950年代にはニュージランドのスピードコースを走行するには早すぎるとなり、ボンネビル・ソルト・フラッツでレースを行うことになり、9回レースを行い、3回世界最速記録を樹立した。1967年公式の陸上最速記録 184.087mph(294.54km/h) 非公式では、205.67mph(329.072km/h)を樹立しました

 

インディアンモーターサイクル倒産と再建

1953年 インディアンモーターサイクルは、全ての生産を中止しました。2年後にブロックハウス・エンジニアリングがブランド名を購入して、1960年ブロックハウスが縮小しつつあるインディアン事業を関連会社に売却して、インディアンブランドは消滅しました。1963年にフロイド・クライマーがブランド名権利を購入しましたが、その後も売上高が急激に減少して、1977年に操業が再び停止しました。インディアンモーターサイクルのブランド独占生産は1998年に再開され、インディアンモーターサイクル・カンパニーオブアメリカ(IMCA)が設立され、カルフォルニア州ギルロイに生産施設が開設されました。2003年にIMCAが破産して、経営権はステリカン社に変わり、その後 2011年にポラリスインダストリー社が経営権を持つことになり、現在に至る。

 

 

現在のインディアンモーターサイクル

時代が変わっても、インディアンモーターサイクルがレースに参戦することは変わりはありません。AMERICAN FLAT TRACKではFTR750で7連覇を達成。

モーターサイクルのサイドにサドルバッグが装備されているツーリングモデルをベースに行われるキング オブ バガーズ レース(King of Baggers)インディアンモーターサイクル vs ハーレーダビッドソンのレース,

2020年に初開催でインディアンモーターサイクルが優勝。2021年はハーレーダビッドソンが優勝。2022年はインディアンモーターサイクルが優勝。2023年はハーレーダビッドソンが優勝。

2024年のレースにも注目が集まる。

 

ポラリスインダストリーズ社

1954年に設立された、オフロード系の輸送機器を中心に取り扱う米国の企業。ネスタリゾート神戸で使用されている四輪バギーはポラリス社製バギー、米国政府の軍用バギーなども取り扱う。それ以外にはインディアンモーターサイクル、スノーモービル、ボードなども取り扱っている。